小さいころ、名作野球漫画「タッチ」に憧れていた。
達也と和也と陽子が出てくるあれだ。
憧れていた理由は弟が果たせなかった志を兄が果たすストーリーがかっこよかったからだ。
小さいころ、僕は母によくこんな話をしていた。
「なんでもない普通の僕らだけど、兄弟の誰かが大病を患うようなストーリーがあったら面白い人生になるかもしれないね。」
そのたびに「縁起でもないことを言うのはやめなさい」と母は叱った。
𠮟りはするけれど、その母の顔はそんなことは起きないから大丈夫と言っているような、そんな表情であったことを強く憶えている。
・・・・・・、。
・・・・・・・・。。。、、、、。。。
・・・はい、そうですか、そんなに悪い状態なんですね。今まで胸が痛んだこと?
・・・、いえ、まったくなかったです。毎日子どもたちと全力で鬼ごっこしてますよ。
来週、大きな病院で精密検査するんですね。わかりました。家族には自分の口から伝えます。
借りていたアパートから20分ほどかかる病院の若い先生からさらっと告げられた。
その内容は箇条書きにするとだいたいこんな感じ。
・僕は心臓弁膜症(病名は大動脈閉鎖不全症重症)
・先天的に二尖弁(普通はみっつあるものが、僕にはふたつしかない)であることが主な原因
・このまま放置しておくと心臓が止まる
・25歳と若いので大きな病院で手術を検討した方がよい
帰りの車では、職場の上司にお休みをいただいたお礼を何にしようかずっと考えていた。
考えるべきこと、家族に連絡しなければいけないことはたくさんあるにも関わらずだ。
アパートに帰ると、しばらくリビングの椅子に座っていた。
1時間くらい座っていただろうか。
気づくと、半年前家に迎えた猫のななとはちが心配そうに僕をみつめていた。
その視線で自分の世界から抜け出せた僕はとりあえず、死ぬまでにしたい10のことを書きだした。
考えるべきこと、家族に連絡しなければいけないことはたくさんあるにも関わらずだ。
鉛筆を持つと不思議としたいことは5分もかからず書き出すことができた。
きっと、人間は「死」を意識すると思考が洗練されてくるのだろう。
A4の紙には、そうそうこれをずっとやりたかったっていうことから、僕ってこんなことがやりたかったのかと思うことまで書き出されていた。
そのA4の紙を見ていると、不思議と涙が出ていた。
A4の紙に書いてあるものは「あとで」「明日」「来年」「準備が出来たら」「そのときがきたら」「いつか」やりたいと思っていたものだ。
僕はやりたいことは多かったが、今までは後回しにすることが多かった。
でも、気づいたんです。
「あとで」「明日」「来年」「準備が出来たら」「そのときがきたら」「いつか」は、やってくるかはわからない。
明日が訪れる保証がある人なんてこの世にはいない。
それは健康な人も。病を患っている人も。
僕たちは「たった今」を生きるしかないのだと。
今を生きる覚悟が決まった僕は、やっと妻に病気の事を打ち明けた。
妻は状況が呑み込めず、困惑していた。
しかし、しばらくすると、僕が選んだ相手なだけあって、僕よりもポジティブであろうとしてくれていて、本当に感謝です。
(病は気からとはよくいわれますものね。)
そして、両親に連絡を入れた。
両親も妻と同様の反応であった。
僕の母はスーパーポジティブなので、非常に助けられた。
父はちょっぴりふさぎ込んでしまったが。
彼らからしたら、寝耳に水、青天の霹靂とはまさにこのことであっただろうが、非常に前向きに、この出来事を捉えてくれていた。
(病の当事者である僕よりも!)
これを書いているのは、病を診断された日から、ちょうど2か月たった日である。
この2か月は、それはそれは怒涛の毎日であった。
転勤、妻は新しい仕事(夢への修行!)、200万の借金、引っ越し、スナック・カフェの開業準備、農園を始める、山を開拓・・・・。
2か月前からは予想も出来なかったことが毎日のように起きている。
(起こしているという表現が正しいかもしれない。)
あと、手術の日程も大体決まった。
(手術は3%の確率で死んでしまうらしい。これは低いのか?)
そして、何よりもこの二か月で気づかされたことが星の数ほどある。
人はいつか死んでしまうこと。(人生において約束されていることは死ぬこと。逆に言えば、それ以外は約束されていないのだから、なんだって出来るということ。)
行動すると案外なんでもできるということ。
死んでしまっても志は誰かに渡せること。
今日食べるごはん、今日飲めるお酒、今日会った人と明日は出会えないかもしれないこと。
これまで当たり前と思っていた全ての当たり前は当たり前ではないこと。(ご飯を食べられること、運動ができること、お酒がのめること、健康でいること、走れること、生きること。)
これらは今の状況になったおかげで、気づくことができたことです。
これまでのように何気なく生きていたら、こんなことを考えもしなかったです。
そして、現実もこれまでの延長線でなあなあになっていたと思います。
何の偶然か、病が見つかって。
まさかの出会いがあって(まさかの再会も。)。
生き方を考えて、行動して。
改めて、人生って、生きるってとっても美しいもの?楽しいもの?と実感できています。
最近読んだ本に、こんなことが書かれていました。
幸せを呼ぶ四つ葉のクローバーは、若葉の時に出来た傷が原因によって生まれるらしいと。
この病はもしかしたら、僕にとっての幸せを呼ぶ四つ葉のクローバーを生むきっかけなのかもしれません。
最後に、病が発覚した日に書いた僕が死ぬまでにやりたいことは残り9つある。
最近は、それを僕が果たせなくても心配ないって思えるようになりました。
なぜなら、僕には志を分かち合った達也と同じくらい頼もしい兄貴がいる。しかもふたりだ。
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