私たち人間は、この世に生まれてくるとき、何一つ持っていません。
何も持たぬ丸裸の状態で「おぎゃあ」と、心も体も真っ白な状態で生まれてきます。(また逆も然り)
だから、いまあなたが身に着けているもの(ものでも考えでも)、自分のものだと思っているものは全て、生まれた後に他人から分けてもらったり、自分が頑張って手に入れたものと言えます。
今、あなたが持っているものは全て、この世に生まれた後に手に入れたものです。
そして、どれだけたくさんのものを手に入れても、どれだけ多くのものに囲まれていてもこの世を去るときには、全てを置いていくしかない。何も持たずに裸で旅立っていくのです。
0にはじまり0に終わる僕らの旅。それが人生です。
では、そんな無意味とも思える旅をどういった心構えで生きていけばいいのか考えてみよう!
まず、「本来無一物」には続きがあるそうです。
「無一物中無尽蔵」
無一物の中には無尽蔵の可能性たあるってことなんですね。
この言葉って、結構面白くて、何も持っていない(無一物)に
無尽蔵がある。
僕はまんま「人間」のことを指している言葉だなと感じています。
おぎゃあと生まれた時は、何物でもない子が人と出会ったり、努力をすることで
無尽蔵の可能性を発揮する大人になっていく。まさに僕らのことですよね。
もう一つ考えてもらいたいことがあって、生まれた時と死ぬときは0なわけですよね?
では、旅の道中で手に入れたものをあなたはどうしていきますか?
ここまで読んでくれた人なら、きっと私と同様のことを思ってくれていると思います。
そうです、世のため、人のために惜しみなく使っていくべきだと思うんです。
僕の好きな作家さんミッチアルボム氏は、
モリ―先生との対話の中でこんなことを書いています。
「死では終わらない、つながりは続く」と。
手に入れた富や財産は死んでしまえば何にもなりません。
でも、人とのつながりや思い出はつながり続けます。
その人からもらった言葉がその人が亡くなった何年も先に、人々を勇気づけることだってあるでしょう。
世界の見方30「本来無一物、無一物中無尽蔵」
コメント