むしろよかったんじゃないか?
25歳の8月1日、心臓の手術をした。(もう1年前か。)
生きるか死ぬかのギリギリの手術だったらしい。(らしいという言葉を使うのは、その数日間、意識がまったくなかったので。)
まわりの何人かは、もうダメだと思っていたらしい。
有難いことに、この文章を書いている僕は健康にくらしているつもりであり、
僕の横には、体重6キロほどの毎日の成長が著しい怪獣がいる。
(彼女はまだこの世にうまれて3か月だというから、感動!)
最近、改めて思うのは、あの手術というか、生死の体験をしなければ、彼女は彼女としてこの世にいないんじゃないか?
僕は今現在の僕として、この世にいないんじゃないかと思い、
むしろよかったんじゃないか、と。
そう考えると、あらゆる出来事が「むしろよかった」と思える。
一見、うまくいかなかったという出来事がなかったとしたら、
今出会う人、モノ、コトに出会えていただろうか?
そして、もうひとつ。
心臓の手術を終えて、
僕たち人間は、生かされている存在だということを強く認識しました。
(神とか宇宙とかいろいろあるかと思いますが、そこは詳しくはそれぞれの考えがあるかと思いますのでふれません。ですが、人間よりもっと大きいものなのはたしかです。)
自由意志があるから、人間は選択できる生き物だと、以前は考えていましたが、
だとしたら、今回の僕の出来事はなんだったのだろう?と思ってしまいます。
生きるか、死ぬかは紙一重。
心臓のひとつも動かせない僕たちはたまたま生きている、偶々生かされているのではないか?
だからこそ、今自分がやりたいと思ったこと、
成し遂げたいと思っていることを選択し、生きていかなければならないはずです。
なぜならば、自分が生かされているから。
そして、それらが一見うまくいこうが、うまくいくまいが、
むしろよかったと思いながら、日々をいきていくしかないんじゃないですかね。
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