選択肢の中から自分で選択すること
とかく、「○○よ。(自分の名前)どうか、安定した職についてくれ。公務員とか。」
なんて言葉を掛けられてきた。
その言葉の影響もあってか、
一つ上の兄も僕もそういった職業に近いものになっている。
その言葉通りのいわゆる安定した、確実と思われている道を進んでいる、、
(ように周りは思っている。)
でも、実際の当人からしてみれば、その道は全く安定からは程遠い、
言うなれば小学校の体育で使った平均台を縦に5等分して、支点をひとつにしたくらい不安定。
よくよく考えてみると、僕と兄が感じている不安定の正体は、
公務員でも大企業でも中小企業でもなんなら職に就いていなくてもついて回るものかもしれない。
「明日、自分は生きているのだろうか」
「今日、死ぬとしたら僕は僕らしい人生を全うしたと言えるのだろうか」
「僕が孫、もっと先の子どもたちに出来ることはあるだろうか」
「ほんとうにこのままでいいのだろうか」・・・・・・・・
悩みは尽きない。
大人になった僕が抱えているこれらの悩みに対して、
実は小学生の僕がひとつの解答をくれていた。
当時の僕も、
「なぜ僕らはいきる」
「人間ってなんだろうか」
「生きるってなんだろうか」
そんなことを考えていた。
当時の僕の日記にはこんな感じに書いてあった。
(記憶をたどって書いているので、違ったかもしれない)
○○先生(当時の担任の先生)はどう思いますか?
僕は帰り道に重い荷物を背負ったおばあさんとすれちがった。
その時に僕の頭にはこんな選択肢が浮かんだ。
①特に挨拶もなくすれちがう(無視)②あいさつする③荷物をもつ④・・・・
日記には選択肢がならぶ。
そして、僕は迷いながらも②のあいさつを選びました。
③をした方がいいことは僕も十分理解していましたが、僕は②を選びました。
僕は②を選択した自分を否定するのではなく、肯定したいと思います。
僕が最近考えている「人間って」という問いの自分なりの解答として、
今日の僕の姿があります。
「人間とは悩み続け葛藤し続ける生き物」であり、
自分にとっての「善」と「悪」の間を行ったり来たり揺らぎ続けるもの。
だと僕は思います。
あのころから、僕は全く変わっていないなあと思う。
「(いわゆる)安定の道にいるのだから、違和感を感じ悩む必要なんてない。」
「子どもと妻のために生活していけばいいんじゃないか」
「でも、僕ってこういう生き方をしたかったのかな」
「後世に僕が残せるものってなんだろうか」
なんてことで悩んでいる。
小学生の僕よ。
君の考えていた「人間って」には実は続きがあってな。
悩み葛藤し続ける生き物なんだが、
自分で選択ができる生き物でもあるんだぜ。
君が②を選んだ自分を肯定したように、僕は今の自分を肯定できるかな。
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