「熱い社会」と「冷たい社会」
最近、レヴィストロースさんが僕の人生に登場してくる。
「ブリコラージュ」:ありあわせの材料や道具を使って、本来の用途とは異なる新しいものをつくり出すこと。
この概念がとても好きで、人生の指針となっている。
本来、人間とはブリコラージュ的な生き方だったのではないかな。
そして、最近本を読んでいたら、
「熱い社会」と「冷たい社会」という概念を目にした。
こちらもまたレヴィストロースさんが提唱した。
「熱い社会」:直線的に進化する社会
「冷たい社会」:円環的に循環する社会
現代は、いわずもがな「熱い社会」を突っ走っているが、
一方で「冷たい社会」のような片鱗も見せている。
「伝統を重んじよう」「地方にいこう」「移住者が増えている」なんてのは、
「冷たい社会」を志向する人が増えているといえるのではないかと思う。
小倉ヒラクさんが『発酵文化人類学』(角川文庫)で、
人は、「冷たい社会」と「熱い社会」の両方を揺れ動きながら生きているということを書いていた。
僕は「冷たい社会」と「熱い社会」のどちらをより強く志向しているだろうか。
また考えてみたい。
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