たまたま生きているぼくらの話

せかいのみかた

今回は「たまたま生きているぼくらの話」と題して、たまたま生きている(生かされている)僕たち、私たち、人間の話をしていきます。

あなたは「自分の力でここまで生きてきた!」、「自分の選択によって今ここに生きている!」と自信を持って言い切ることは出来るでしょうか?

そう言い切れる人は非常に恵まれていると思います。

恐らく、多くの人が自分は周りの人の力でここまでやってこれたと思うのではないでしょうか。

学生時代、苦しかった時に支えてくれた先生・友達。

働いているときにエールを送ってくれた上司。親。

どんな人であっても、支えてくれた人、助けてくれた人の一人や二人は思い浮かぶのではないでしょうか。たまたま隣の席だった人が窮地を救ってくれる人だったり。たまたま担任だった人に救われる。そんな嘘みたいな話を誰しもが経験してます。(よく考えると、それが起こる可能性って天文学的な数字だと思います。ひとりとひとりが出会う確率ってすごすぎますよ。日本に1億人の人がいるとして、その中の二人が同じ地域、学年、クラス、となりの席ってどんな奇跡?)

人と人はつながって生きています。

僕たちは支えられて(支えて)、生かされているんです。

先日、古今亭文菊さんの独演会に行ってきました。(文菊さんの落語は人生2回目。1回目は鳥肌立ちました。)

落語2席とフリートークという内容で、、、

そこでのフリートークのテーマは「幸せについて」でした。

自分なりにフリートークの内容を解釈すると、

「人は生かされている。自分の欲望を昇華した先に幸せがある」ということが言いたかったのではと思います。

この言葉・考え方、どこかで聞いたことあるなぁと思っていて、独演会の帰り道に音楽を聴いていたら、思い出しました。

ワンオクのTAKAが、ライブで同様の発言をしてたと記憶してます。

人生を一本の紐に例えて、「固結びをしようとしていた時期もあったけど、それが幸せじゃないよね。」みたいな感じだったと思います。

昔は固結び(自分たちの欲望)をしようとしていて、今とは明らかに物事の考え方・生き方が違うと1ファンとして感じます。昨今はちがう方向に進化していますよね。

文菊さんとTAKAが言っていることは同義だと感じます。

他にも、経営でよく言われる「利他の精神」なんかも、同義かなぁとか勝手に思っています。

文菊さんの「私は生かされている」という言葉。

まさにその通りだと思います。僕はつい先日、お医者様に「心臓疾患」を指摘されました。

全く予想外の出来事でした。まだ25だよ?普通に健康に暮らしていると思っていました。

その時思ったんですよね。

僕たちって「たまたま生きているだけだよね」と。

自分の力で、心臓を動かしてもいない。食べたものを自分の力で消化できる人もいない。血液の循環、思考。僕たちの生きる営みのすべては自分の力でやっていないんですよね。

じゃあ、誰がやっているのかといえば、神とか偉大なる何かとかになってしまうのかな?

とりあえず、自分ではないことは確かです。

働くことも同じだと思います。結局はすべて自分ではない何かに導かれて、生かされているのではないでしょうか。

たまたま生かされている僕ら。

なぜかわからないけど、生かされているのだから、何かやれること、やることがあるはずです。

何をやればいいのかわからない人に、遠足の時に小学生が先生に言われるランキング3位の言葉を贈ります。

「来た時よりも美しく」

この世界に生まれてきて、生かされているのだから、来た時よりも美しくしたいね。

世界の見方⑨「僕らはたまたま生かされている。来た時よりも美しく。」

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