気づいたら、「自分」が「自分」として存在していた僕らですが、「自分」、「僕」、「私」とは何で、どこからきたのでしょうか。
僕が一か月前に食べたサバの味噌煮。ポテトサラダ。お米は、今日の僕を構成しています。
では、自分はサバか?と言われたら、それは違いますよね。「自分」は「自分」と答える人が多いかと思います。
では、サバは何になったのか?一か月前までサバだったものは、「自分」になっています。
サバに限らず、「自分」がこれまで食べたもの、お魚、お肉、お野菜、お菓子etc全ては「自分」になっているのです。
そう考えると、「自分」とは、お魚であり、お肉であり、お野菜であり、お菓子であり・・・・究極の結論として、「自分」とは「この世の全て」であると言えるのではと、僕は考えてしまいます。
「自分」という存在を考えてください。
つま先から頭までが「自分」であると考える人が大多数だと思います。
ですが、さきほどの「自分」は「全て」であることを考慮すると、本当につま先から頭までだけが「自分」なのでしょうか?
手のひらを見てください。
手のひらを見ると、自分が手のひらと認識している部分を境界線として、それ以外はただの空間と認識するはずです。
ですが、そこには空気が存在しています。
生き物は空気を必要として生きています。
ですので、お魚、お肉、お野菜(人間も)、一部分は空気と言えるかもしれません。
と考えると、手のひらと認識している境界線(自分の手のひら)とそれ以外の空間の境界線なんて、ないのかもしれないと思えるのではないでしょうか。
そう思えたら、問いかけてください。
「この手はどこから来たんだ?いつからここにあるんだ?」と。
自分はこれと全く同じ問いかけをされた時に、めちゃくちゃ戸惑いました。
いつからは自分が生まれたときじゃないのか?え、じゃあどこからきたんだ?母と父からか?では母と父はどこから来たんだ?自分が自分じゃないときにこの手は存在していたのか?存在していなかったとすれば、この手を構成している物質はなんだったんだ?とか。
よくわからないことが頭の中をぐるぐるしました。
3日と8時間考えました。
自分とは宇宙が始まったとき、すなわちビックバンが起こるはるか昔、宇宙が点だったころからあるのではないか。そのときのエネルギー、原子?が脈々と受け継がれて自分が今この瞬間存在している。
僕が昨日食べた、豚さんの原子は、今この瞬間は自分を創る原子、エネルギーになっている。
「自分」をつくる原子は、昨日、先週、先月までは「自分」ではない何かを構成していた原子です。
こう考えると、自分ってずっと前から存在しているもので構成されていると思えます。それこそ宇宙が点だった時からあるもので出来ているんじゃないだろうか。「自分」っていうのはその時から来たんじゃないかと思うんです。
じゃあ、自分っていつからここにあるのか?それもその時(宇宙が点だった時)からあるんだと言えます。
取り留めのない文章になってしまいました。
みなさんが「自分」とは何で、どこからきたのか、少し考えてみるきっかけとなれたら幸いです。
せかいのみかた12「この手はどこからきたのか?いつからここにある?」
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