セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること[1]。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。(wikipediaより引用)
生きていると、まさかそんなことが起こる?ということがたくさん起きますよね。
あれってなんででしょうね。僕の人生の出来事を踏まえながら考えていきます。
生まれた時、病室で人生の友となる二人と出会う。結婚式に来てくれた。ありがとう。
幼稚園生の時に、トイレの便器に顔面をぶつけて、目の横に傷を負う。それがきっかけである人と仲良くなる。
小学生の時に転校してきた友達が、社会人になった今、自分のやりたい目標を支えてくれる。
小学生の時にサッカークラブのコーチに勧められた作家さんに人生を救われる。
推薦試験で小論文を書く。時計を忘れ、時間がわからない中、残り2分くらいでなぜか論文を書き直し、白紙で提出し、無事落ちる。浪人し、予備校に通う。隣の席に幼稚園の時から好きだった初恋の人がいた。
浪人の末に一つだけ受かった大学で人生の伴侶に出会う。力に溢れた素敵すぎる方。尊い。推し。
就職活動で何十回もお祈りされる。その過程で自分が人生で成し遂げたいことが明確になる。自分がやりたいことを行っている会社の社長と田舎の山奥の神社でZOOMをする。自分の人生への向き合い方を反省する。そこから気持ちを立て直し、某省庁に入省する。
行くことを考えてもいなかった某省庁で、思いがけず様々な縁に巡り合う。寮の隣人に毎日ご飯を振舞い、料理を生業にしたいと考える。調理師免許を取得する。
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セレンディピティを考えだしたらキリがないですね。
きっとあなたにも多くの様々なセレンディピティがあると思います。
なぜ、こんなことが人生で起きるのか。
色々な解釈、考え方があるかと思いますが、私は結局のところ、セレンディピティを感じるあなたが前向きに生きていこうとしているから、それに尽きると思います。
前向きに生きようとしている人は、今を、起きたことを楽しもうとします。
大けが、大病をしても、そこから何かを感じ、ただでは転びません。
一見マイナスに見える事柄でも、見方を変えてプラスに持っていきます。
そんな習慣・態度がセレンディピティを生み出します。(生み出すというよりは見つける、解釈すると言った方が正確かもしれません)
何事も前向きにとらえる人は、後ろ向きな人よりもアンテナを至る所に張れています。
例えば、私は自分で生業を持ちたいと常日頃から思っているので、町を歩いていても空き店舗やお店のレイアウトにすぐ目が行きます。なので、空き店舗があったら、写真を撮ったり、周辺の不動産屋さんをチェックします。(実際に店舗を契約できた)
このように考えると、セレンディピティは一見偶然に見えるかもしれませんが本人からするともしかしたら必然の結果なのかもしれません。
セレンディピティを起こすために、常に前向きにアンテナを張って生きていきたいですね。
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