25歳、青天の霹靂。

せかいのみかた

「青天の霹靂」…意味:前触れなく突然に生じて人を大いに驚かせるような衝撃的な事件や出来事の事
           突然の知らせを受けた際の大きな衝撃のこと

    使い方・用法:この知らせは商業界には青天の霹靂だ。(weblio参照)

2024/2/19


「普通の人は三つある弁が、あなたは先天的に二つしかなくて、血液が逆流を起こしている。レベルで言うと重度。このままだと心不全。将来的に手術は避けられない。」

淡々とそう言った、担当医の言葉は青天の霹靂であった。

淡々と述べる医者の言葉を僕はあまりはっきりと覚えていない。聞かなくてはいけないことは山ほどあったけど、「そうですか・・・。」という一言しか出てこなかった。

例えば、「病名は何ですか?仕事に影響はありますか?運動はしていいのですか?今後これまでと変わらずに生活できますか?子どもはつくっても大丈夫ですか?」とか。

あまりのショックに病名すら聞かずに、家に帰ってきてしまい、妻にはちょっぴり叱られた。

小さい頃は、普通の人であった僕は、悲劇の主人公に憧れていて、母に「何か普通じゃないストーリーみたいなもの、例えば不治の病とかあったら、それはそれでいいかも。」と言ったことがあった。

まさに、その言葉を現実にしてくれる病気が自分にあったとは、嬉しい!!!

とは、全く思えなかった。

これまで、何不自由なく健康的に生きてきたあの日々は何だったのか?
小学校の頃はシャトルランで学年で1番になったり、足は遅かったが体力には自信があった。
中高とサッカーをして、大学でも体育会のサッカー部に入った。
社会人の時には、人生で初めてフルマラソンを完走したし。なんなら、先週とか子どもたちと一緒に鬼ごっこしてたんだけど。
(今思うと、健康で生きているそれだけで尊いものなんだよな。奇跡だよね。通った病院には自分よりも重い病気の人、障がいを持つ人がたくさんいた。)

両親も、「うちは貧乏だけれど、健康な身体をお前にはあげたからな。」という言葉が口癖であった。
(父と母を責めるつもりはありません。あなた方からは健康な身体よりも大切な、健康な精神をいただきました。)

両親がそう口にするくらい、健康そのものであったと思う。

そう、担当医から診断結果を言われるまでは。

まさかの診断結果に、現実を認められていない?自分がいる。

そもそも、就職に際しての健康診断で、聴診器で診てもらった時に、心雑音があるって言われたから、しょうがなく精密検査を受けただけなんだけどな。

何事もなく「特に何もありませんでしたよ」って言う言葉を予期していただけに、反応に困ってしまった。これから自分はどうなってしまうのだろうか。

2025/4/771
(4/771なんてないよな?間違えていたようだが、原文まま)

一年前の日記を読み返してみた。

あの時はまさかの事態で色々と混乱していたみたいだな。
(まあ無理もないか。突然の宣告だったもんな)

あの日から、この1年を振り返ると、まあ色々あったな。

一番は仕事が変わったことかな。

内定していた先生という仕事も、運動量の問題から辞退させていただいたんだったなぁ。

でも、病気のおかげで、今は心の底からやりたい思える仕事をさせていただいているといえるね。

病気によって、生き方、考え方も大きく変わったっけな。

自然と強烈に「死」と「時間」を大きく意識するきっかけをいただいたんかな。
(実は小学生の時に、日記でこの世で唯一絶対的なことは死と時間と書いていた管理人。まさか、25歳でそんな強烈に意識する日が来るとは。)

当時は、「来月のお給料はこれくらいだから、今月はこれくらい出費できるな。」とか、「来年にここに行こう!来年やろう!明日にしておけばいいかな」とか思ったりしていたことが多い。

今だからいえる、そんなものは幻想だ。

人間の一生なんて、いつ何があるかわからない。
みんな当たり前のように明日が来ると思っている。明日が訪れる保証のある人なんてこの世にいないのだ。

過去の自分に向けて、同じ状況にある人に向けて、僕が病気と向き合うときに大切にしていた考え方をシェアしたい。

・人生で絶対にそうなると約束されていることはいつかは死ぬということ。
その他のことは何も約束されていない。何よりあなたは今生きている。だからなんだってできる!

(喜多川泰さんの著書「君とあえたから」の言葉だったかな?)

・人生はチェスゲームのようなもの。対戦相手は時間。
ためらっていたらどんどん先に進んでしまう。
(これはどこかで読んだ本にあった言葉。なぜか社会人1年目の時にノートにメモしていた。)

この二つのことを考えて、僕は1年を過ごしてきた。

いままでは、明日、来年、5年後、いつか、出来たらいいな、やりたいな、と思っていたことを、僕は今日やるようになっていた。だって、そうしなければ、今日、死んでしまうかもしれないから。

その結果、今の僕がある。

やりたいことはすべてやった。民宿の経営、講演活動、本の出版、コーチング、友人と塾を始める、地元の商店街に出店、地元の地域活性化、農園経営、居酒屋「おれの代わりに吞んでくれ」、レストラン「おれの代わりに食べてくれ」、両親と旅行、兄弟と会社を経営する……やってきたことは数えきれない。

なんでそんなに出来たんですか?その理由を教えてください。とよく聞かれる。

その時、決まって僕は答える。

「この世で決まっていることは死ぬことだけ。あなたは今生きている。だからなんだって出来る!」

世界の見方⑦「人生で約束されていることはいつかは死ぬことだけ。それ以外は何も約束されていない。」

PS.生きなきゃいけないよな。だって生きているんだから。

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