二つ目に、君におぼえておいて欲しいものは、この世で絶対的、何があっても変えられないものについてのことだ。
君は何年かこの世で生きてきたわけだが、、、
絶対的な、何があっても変えられないと思ったことはあるかな???
少し時間をとって考えてみてほしい。
僕が少年時代にこの問いを投げかけられたときに考えたことは、
「他人の気持ち、自分という存在」この二つだったかな?
今、その考えを振り返ると、どちらとも変化させられる可塑的なものだったね。
他人の気持ちもそうだね。少し話が脱線してしまうんだけれど、
僕の妻、つまり君の母さんと僕は大学生の時に出会ったんだ。
初めて出会った時のことを僕は鮮明に覚えているんだけど、(なんといっても綺麗だからね!)
彼女は僕のことを全く覚えていないらしいんだ。そのあと1年くらいも僕に対して、なんの感情も抱いていなかったんだ。(同じ部活だったのにも関わらず!)
僕の猛アタック(彼女の趣味のカメラを趣味にしたり、カフェ巡りを趣味にしたり、、、そのためにカメラは7万円の物を買ったんだよ(笑)。今では僕の方がその趣味を愛好している、、、)の末に、
彼女をものにして、君は生まれたんだ!
その経験から、僕は人の気持ちなんてものは変えられるんだ!と知ったんだ。
もうひとつの「自分という存在」についてはきっと、15通の手紙を読んだ後の君なら、どういうものかわかるはずだと信じているよ。
脱線した話を元に戻そう。
この世で絶対的なものは、「死」と「時間」
「いつか死ぬということ」「時計の針は戻せないということ」
この世で変えられないものは、この二つしかないんだ。
君も僕も人間である以上、絶対にいつか死ぬんだ。これは誰にも変えようがない。
同じように、進んでいく時間を止めたり、巻き戻したりすることは誰にもできないんだ。
きっと君はこれから生きていく中で、「あの時こうしていたら」「もっとこうできたのに」「その時がきたらこうしよう」「準備ができたらこうしよう」「・・・・したら」「・・・・れば」と
後悔したり、やるべきことを先延ばしてしまうことがあるはずだ。
僕はそんなことばかり思って過ごしてきた。
「お金がたまったら」「人脈ができてから」「タイミングが合えば」「来年こそ」「5年後こそ」「いつか・・・・したら。すれば」
こんなことばかり言っては、先延ばしをしてきたんだ。
でも、そんなことでは何もできないからと、25歳の時、ちょうど君の母さんが君を授かった時に、もういままでの自分を変えて、いまここからやりたいことをしようと決めたんだ。
同じタイミングで、1週間昏睡状態になって、強く「死」を感じたこともあったからね。(これについてはまた違う機会に詳しく伝えようと思ってるよ)
君はどうだろう?
「・・・したら」「・・・れば」なんて言っていないかな?
時間はいつまでも待ってくれないよ。
だからこそ、僕も君の母さんも君との時間をとってもとっても大切にしたいと思っているよ。
最後に一つ、絶対的なこと(決まっている)は「死」「時間」だけだと言ったね。
逆に考えてみれば、これら以外は全て変えられるし、何も決まっていないんだ。
君は今生きている、だから、君はなんだってできるんだ。
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