ついに君への最後の手紙だ。
15通の手紙を通して、僕がきみに伝えようと思っていたことは伝えたつもりだよ。
僕の心臓が悪かったがために、きみへの手紙を書くつもりになったし、生きることに対する感謝の気持ちが湧いてきたんだ。
何より、僕の心臓が悪くなければきみは生まれてきていないんだ。
きみのおかげで僕はこの病気を「むしろよかったんじゃないか」と思えるようになったんだ。
それは僕の妻、きみの母さんも同じ気持ちだと思うんだ。
僕は病気の後に、数週間、眠ったままの状態で、もしかしたら目覚めないかもしれないという状態だったらしいんだ。
きみの母さんはそれを支えてくれていたんだ。
僕が逆の立場だったら、不安で心配で何も手につかなくなって、頭がおかしくなってしまうかもしれないね。
そんな不安な状態の時に君が、お母さんの身体にあらわれたんだ。
お母さんは君という存在に強く支えられていたはずだ。
きみはこの世に生まれてくる前から、僕ときみのかあさんを救ってくれているんだ。
きみが生まれてくることは、僕と母さんのこれまでの一見悪かったと捉えられる物事全てに肯定的な意味合いをつけてくれたといってもいい、
何かと悩んだ学生時代、会社員生活、病気・・・・・あらゆるすべてのことを、きみは
「あれでむしろよかったんだ」と思わせてくれたんだよ。
そう振り返ると、これまでの全ての出来事がきみにつながっていたのかと考えてしまう。
小学生の時に帰り道に星新一を読みながら歩いたこと、
中学生の時に美術室掃除で友達とふざけて遊んだこと、
高校生の時に、高校を幼馴染と一緒にしたこと、
大学生の時に、きみのお母さんに出会えたこと、
社会人の時に埼玉と長野で離れてくらしたこと、
僕と君の母さんに起こったあらゆるすべてのことがなかったら、きみに出会えていなかったと
考えると、すべての出来事が肯定的に愛おしく思えてくるんだ。
ひとつでも欠けていたら、きみに出会えていなかったかもしれない。
きみに感謝してもしきれないくらいだ。
きみが生まれて、僕たちのもとにいるのは、長くても20年くらいかと思う。
その間に、きみがこの世に生まれてきた奇跡について思う存分話をさせてほしい。
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