【7通目】働くって?

君への手紙

生まれてくる君に知っておいて欲しいことを手紙にしようと考え、

15通の手紙を書こうと思い、早くも半分の7通目に達しました。(早くはなかったです)

偉そうに色々書いてみたものの、自分自身、姿として体現したいと思って出来ていないことばかり、、

こんなことを体現したいと思いつつ、人生を模索する父からの手紙として読んでくれると嬉しい限り。
(もがきながら、善くなろうとし続ける姿勢はみせられるのかな?)

本題に入ろう。

きみに知っておいて欲しい7通目のテーマは「働くってなんだろう?」だ。

これを読んでいる君が今何歳かはわからないが、きみはいま働いているだろうか?

まだ子どもだから働いていないよ!と思ってはいないだろうか?

そもそも「働くってなんだろうか?」きみはどう考えている?

仕事を通じて対価(主にお金)をもらうことかな?

多くの人は、仕事を通じてお金をもらうことだと考えているのではないだろうか。

僕はそんなふうに考えていない。

僕は働くとは、「自分の凹凸を使って人の役に立つこと」だと考えているんだ。
(ぜひ、以前書いた「凹凸のススメ」を読んで欲しい。凹凸は長所と短所のことだ。)

こう考えると、どうだろうか?

きみが何歳であろうと、働いているといえないだろうか。

自分の長所と短所を使って、人の役に立っていればいいから、究極をいえば、赤ちゃんであっても寝たきりの老人であっても働いているといえるんだ。

赤ちゃんは、ただそこにいるだけで、親や周りの人の生きる糧になり役に立っているね。

寝たきりの老人であっても同じことがいえるよね。

この考え方を知ってから、僕は心臓の病気になったんだ。

一か月、病院にいたんだけど、もしかしたらこれも「働く」ということか?と思ったんだ。

どういうことか。

僕の心臓の病気という凹によって、お医者さんの手先の器用さや知識という凸が活きている。

僕の病気が人の役に立っているかもしれないと実感したんだ。

だから、僕はこの世にいる全ての人はそこにいるだけで「仕事」をしていると思っているんだ。

さらに言えば、きみの凹が誰かの役に立って助けてもらっている恩返しとして、

きみはきみの凸を使って誰かの凹の役に立たなければいけないはずなんだ。

自分の凹凸を思う存分使って、きみが働いている姿をみられたら、親としてこんな幸せなことはないと思っているよ!

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