きみに伝えたい13個目は「夢中になれるものはあるか」ということだ。
きみは今、何か夢中になっていることはあるかな?
それはスポーツかな?何かひとつのことを調べることかな?何かをつくることかもしれないね。
僕は小さいころから、夢中になるものがたくさんあったんだ。
例えば、サッカーがそう。一つ上の兄と日が暮れるまでボールを追いかけていた。
他にも、読書、工作、けん玉、ジャグリング、ゲーム、・・・・。
数えきれないくらいのことに夢中になっては飽きてを繰り返してきたんだよ。
周りからは、「三日坊主」とか「一つの事を極めなさい」なんて言われてきたんだけど、、、
今考えると、それらの経験で無駄なことなんて何一つなかったんだ。
どれも夢中になっただけあって、今でも楽しくできることばかりなんだ。きみが大きくなったら、僕が父や母とやったようにひとつひとつ一緒にやろうね。
夢中になってやったことの数々の中でも、これは他の物とは明らかに違う。自分の心が自然とそちらに持っていかれてしまうというものが、誰にでもきっとあると思うんだ。
きみに夢中になれるものを聴いたのも、つまりはそういうことだよ。
やりたいことはやってみたことの中からしか生まれないし、みつからないんじゃないかな?
サッカー選手になりたい子はサッカーをしたことがあって、サッカーの面白さや喜びを知っているはずだ。
同じように君のやりたいことは君がやってみたことの中からしかみつからなくて、わからないんだ。
だから、何か夢中になれるものがあるならそれをやってみればいいし、
やっぱり何か違うと思うなら、他に色々と試し続けることを大切にして欲しい。
僕が言われ続けてきたように、「三日坊主」「あのひとは何も続かない」とか、周りからは、色々と言われるかもしれないが、別にきにすることなんてないんだ。
何も身についていないような気がするかもしれないけど、
夢中になっている人の周りには、人が集まってくる。
そのつながりであったり、出会いが人生で最も尊いものであり、幸せと言えるものだと僕は思っている。
君の母も僕も、いわゆる普通の人から見たら、変わってる人と思われているかもしれないけど、
二人とも夢中になれるものがあり、夢中に生きているんだ。
ここまで読んで、自分にはまだ夢中になれるものがない、自分なんて、、、、
と思わなくて大丈夫だよ。
目の前のことに夢中になっていたら、夢中になれる何かは絶対にみつかる。
とりあえず、目の前にあるものに夢中になって生きてみよう。
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