山を相続する話

せかいのみかた

農水省に勤めていた時に、上司から里山維持の大切さを説かれていた。(課長補佐はカブトムシを例にだして、物分かりが悪い僕にも丁寧に説明してくれた。非常に感銘を受ける講義であった。)

そんあこともあってか、某バズマフのyoutubeチャンネルで、父の米作り、ジビエ料理等をアップしたりもしていた。

自分なりにどうにか、地元の里山や自然のことを発信・勉強しているつもりであったが、結局は世の中に何も貢献できていないのでは?と毎日悶々としていた。

農水省を退職して、生まれ育った地元に帰ってきたはいいものの、その思いは変わらず・・・。

かといって、自分に出来ることってなんだろう?

とりあえず、先祖代々の山林と畑に、色々な苗を植えてみた。(例えば、ジュニパーベリー、プルーン、山椒など。来月は小麦を蒔いてみる。)

竹や木を切っては子どもと工作をしたり。

周りからはなぜそんなことをするんだと言われるが、、、、

自分でもその理由なんてものはわかっていない笑

面白そう、なんかやりたくなった、父が喜ぶかも?、自然に触れたいなどなど、たくさんの理由が考えられはする。

僕は、なぜか農水省に入省し、なぜか教員となり、なぜか妻はお店を持ち、なぜかおじいちゃんは民宿をしているし、なぜかつくることに興味があり、なぜか山や畑や田んぼを持っている。

きっと人はたくさんの「なぜか」をそれぞれもっているのだろう。

そして、その「なぜか」をうまく使って、生きていくのだ。

人と人が出会う縁というものも、その「なぜか」の最たるものでないかと最近感じている。

なぜか、彼らと出会い、そして別れる。そしてまた、誰かと出会い、別れていく。

別れるために出会っているのか!?とちょっぴりつらい気持ちになるときもあるが、

生きるとはそういうものなんだろうな、という結論で今のところ落ち着いています。

「なぜか」を最大限効果的にするために、「たったいまの一瞬」を大切に生きていくことが大切ということにも、最近やっと気づけました。

最後は別れてしまうことが約束されている私たちだからこそ、「たった今」を大切にして、より善い別れが出来るように行動する。(お世話になった方が口酸っぱく言っていた義理と人情GN1ということか。)

そんなことを心がけていたら、なぜか山を相続することになった今日この頃。

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