いつも通り、唐突にはじまります。
幸せに生きるとは何か。
様々な考え方があるかと思います。僕の本棚には、幸福について、幸せについての本(偉大な先人たちの本)がたくさんあります。(まだ読めていない)
人の数だけ幸せの捉え方があってしかるべきなので、今回は僕なりの幸せについて書いていきたいと思います。
幸せとは解釈・考え方がプラスに振られている状態のことではないでしょうか。
話が飛躍してしまいますが、相対性の世界(誰かとの優劣、競争)で生きている限りは、ゼロサムゲームになり、幸せを感じられるのはほんの一握りの人だけです。
誰かと比べて自分は○○だという解釈、考え方では、幸せを感じることは難しいと僕は思います。
ゼロサム的な世界では、一番にならないと幸せはありません。
そんな世界だから、ニッチを探せ!自分が一番になれる場所を探せ!という言葉が叫ばれますが、一番になる必要などないのかもしれません。
一番になる過程を楽しめる人ややりたいことがある人はそうすることが幸せなのかもしれません。
ですが、僕はそんな人たちも、解釈・考え方をプラスに振ることで、さらなる飛躍、幸せが得られるのではと思います。
カントが言った「定言命法的な生き方」が自分の考える幸せの在り方に近いかもしれません。(定言命法とは、日本古来の無功徳という考え方に近い。)
まわりのひとに良く思われるから
何か貰えるかもしれないから
物事の判断基準を周りに求める相対性で考えるのではなく
自分の中のただそれが善であるから、無心で追及するそんな状態であれたら、いつだって幸せだと思うんですよね。
それは、色々なひとが色々な言葉で言っています。
定言命法、無功徳、利他の心もそれにちかいかな?
そんな生き方ができたら、全ての出来事をプラスに捉えることができます。
すると、やはり幸せを感じられるはずです。
書いていて思いましたが、
解釈・考え方をプラスに振ることって
自分の機嫌を自分でとるってことなのかもしれないですね。
世界の見方14「自分の機嫌は自分でとる」
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